捕らぬマイルの皮算用~知識のANA埋め~

SFC修行、マイレージ、クレジットカード、資産運用、デジタルガジェットなどの知識の補足用ブログ

3年前に書いた【西野カナの「トリセツ」を500回くらい聴いたから、そろそろこの曲の感想を書きたい】というお蔵入り記事が復活した

f:id:romulus_k:20170923234840p:plain

久しぶりにブログ更新を再開しようとしてみたら、2019年7月に「はてなブログにJASRAC管理楽曲の歌詞の掲載が可能になりました」というお知らせが。
おお、ということは、記事内に歌詞の引用があるから公開にリスクがあるなあ、できないなあと思ってお蔵入りにしていた下書き記事が復活できるではないか・・・と。

当時のままに公開。届け(3年前の)思い。

「トリセツ」を500回くらい聴いてみた

1年くらい遅れている感のある話題。

西野カナさんの「トリセツ」って曲があるじゃないですか。
この曲を知ったのは2015年、ちょうど去年の紅白歌合戦の日だったんですけど。

一回聴いて「なんじゃいこの歌は?」と、思いました。
歌詞に出てくる女の人、ちょっとうざくないですか?と。

しかしですね、なぜだかその後、妙にこの曲にハマってしまいまして。
ずいぶんとヘビーローテーションで聴いていたんです。それこそ、SFC取得への道やってる間とか、SFC修行のスケジュール立てたりPP単価調べたりしてる間、テーマ曲かよという勢いでリピートしていたんですね。ANA好きには欠かせない葉加瀬太郎の「Another Sky」に次ぐ頻度くらいの再生回数です。

それが先日、なんだかんだ500回を超えたので、そろそろこの曲について語る資格もできたかな、と思いまして。
やっぱりこう、何か物を語る時には、そして特に批判的になってしまいそうな時には、まずしっかりそれについて知った上で語らないといけないなと思いまして。
だから、500回聴いてこの曲の歌詞を振り返りつつ、自分の立場に置き換えてみつつ、評価したいと思います。

まずですね、最初、この曲を聴いた時の感想は「なんじゃいこのクソアマは?」だったんです。
実際同じ感想をお持ちの方も多いみたいで、Googleで検索すると「トリセツ 糞女」とか「トリセツ クズ」とかいう予測検索すら出てきます。

実際彼女はクズなのか?検証のために簡単にまとめますと、
「返品交換は受け付けません」
と最初に宣言しておいて、
「急に不機嫌になることがあります」
「理由を聞いても答えないくせにほっとくと怒ります」
「でもそんな時は懲りずにとことん付き合ってあげましょう」
さらに相手への要求が高くなり、
「定期的に褒めると長持ちします」(=定期的に褒めてね、よろぴく)
「爪がキレイとか小さな変化にも気付いてあげましょう」
「太ったとか余計なことは気付かなくていいからね」
と、相手への強制、お願いごとのオンパレード。さらに上乗せで
「こんな私だけど笑って許してね」
「ずっと大切にしてね」
と言って来るのですから、ずいぶんと上から目線なものです。
結局終始この調子が続いて、
「何でもない日のちょっとしたプレゼントが効果的です センスは大事」
「たまには旅行にも連れてって」
「記念日にはオシャレなディナーを」
「広い心と深い愛で全部受け止めて」

と、こんな感じです。うーん、確かにこの女はろくなもんじゃねえ。そんな感想もうなずけそうです。

このトリセツの女はどうすればよいのか?

この曲に出てくる女の性格が極めていまいちだなと感じるのは、とにかく相手への要求が多くて、頭も悪そうな雰囲気がプンプンする割に「自分は変わらないし何も努力しないけど、あなたはそれを受け止めるべき」というスタンスがずっと続くためです。

しかし、歌詞の中で要求してくることについては「いつもごめんね」とか「こんな私だけど」とか、自分に欠点があるということはどうやら認識しているようだということがわかります。
それにも関わらず、「自分はそれを変える、直すための努力をします」ということを一切言わずに相手に許容されることしか考えていないからクソ認定されてしまうわけですね。

結局は思いやりですので、相手のことを第一に考えられるか、というところが大事なわけです。
「いつもごめんね」というのであれば「私も努力するから、あなたもできるだけ許してね」という感じのスタンスになるような一言があるだけで、ずいぶんと印象が変わると思うのですよね。

・・・というようなことを以前、職場の女性陣に訴えかけたことがあったんですけど、「そんなこと言うけど、自分の奥さんがそう言ってたら『はいはい』って聞くんでしょ?」と言われましてね。

んー・・・あー・・・まあ・・・そうかも。

結論:トリセツの女も自分も大して変わらない。奥様、これからもどうぞよろしくね。

(2019/12/2追記)
はてなブログがJASRACとの包括契約を実施してくれたので「歌詞の掲載」ができるようになり、実に約3年の歳月を超えてついにこのお蔵入りしていた記事が日の目を見ることになったわけですが、今の感想は、当時よりももうちょっと、追加するものがあります。

それは、アドラー心理学で言う「課題の分離」と、幸福の3条件である「自己受容」「他者信頼」「他者貢献」。

このトリセツに出てくる主人公の女性に対して、なぜ腹が立つのか。
それは、この女性が相手(=歌詞で言うところの、相手の男性。同じ立場に立たされる可能性のある男性のリスナー)の課題に土足で踏み込んでいるからに他ならないなと、思うわけであります。

例えば、「こうしてほしい」「ああしてほしい」ということがあったとします。そりゃありますよね。でもそれを「どう相手に伝えるか」は自分の課題、相手がそれをどう受け取るか、受け取った上でどう行動するかは相手の課題なのです。
相手に「こう受け取ってね」「こうしてね」「ああしてね」というのは、相手の課題に土足で踏み込んでいるのです。だから反発したくなる。

さらに言えば、アドラー心理学で言うところの幸福には「ありのままの自分を受け入れ(自己受容)、他者を信頼し、他者に貢献する」という概念が必要です。トリセツの中で語られる主人公像は、常に「自分から相手に貢献する」ではなく「相手が自分に貢献してくれる」の一方向のみなので、イラっとするのだろうなと、思うのであります。
このトリセツの女性も「あなたのことがとても好きである」ということを相手に伝えて、相手のために何かしようということができたら、幸せなカップルになれるんではなかろうかと思いました。
相手への要望よりも、自分が何を提供できるか。相手が存在することが自分への貢献であるという思いに至れたら素敵だなあと思います。